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 【戦国武将の鎧兜】 
泣}イスター・ジャパンの「戦国武将〜戦国の世を駆け抜けた武士たち」を集めてみました。配列は没年順。

北条早雲
1432〜1519
早雲が歴史の表舞台に現れるのは四十歳を過ぎてからという大器
晩成の武将。一
介の素浪人から戦国大名にのし上がった北条早雲
をして「下克上の典型」とするのが長い間の通説であったが、もとは
室町幕府政所の伊勢氏の出自で決して一介の素浪人ではい。次々
と国を切り盗った力ずくの武将のイメージがあるが、善政をしき領民
に慕われたようである。本名を伊勢新九郎盛時といい、その存命中
に北条早雲を名乗ったことはない。当時としては著しい長寿の88歳
で没している(ただしこれについても異説がある)。

斉藤道三
?〜1556
油売り商人から、謀略知略の限りを尽くし、ついに美濃
一国の領主となった斉藤道三。「美濃の蝮」と恐れられ、
北条早雲とともに下克上の典型とされてきたが、その国
盗りは父子二代にわたることが確実となっているようで
ある。しかし、かつてNHK大河ドラマ『国盗り物語』で 平
幹二郎が演じた道三のイメージがあまりにも強烈で、に
わかにはその事実を受け入れられずにいる。あの時の
信長は高橋英樹、濃姫は松坂慶子だった。嫡男義龍と
対立して討たれる。

今川義元
1519〜1560
「海道一の弓取り」といわれ、戦国中期にあって天下取りにもっとも
近い武将であった今川義元。しかしその力量は過小評価されている
ようである。館のあった静岡でも郷土の名将といえば徳川家康であ
って、義元は全く人気がない。公家かぶれとか太りすぎて馬にも乗
れなかったとか言われるが、やはり桶狭間がいけなかった。1560年
2万5千の大軍を率いて京に向かったが、途中桶狭間(田楽狭間)
で雷雨を避けて休息しているところを織田信長率いる2千の精鋭の
奇襲を受け討ち死にする。この後、名家今川家は没落の一途をたど
る。

山本勘助
1493(?)〜1561
乞うご期待

乞うご期待
武田信玄
1521〜1573

上杉謙信
1530〜1578
乞うご期待 

乞うご期待
織田信長
1534〜1582

真田昌幸
1547〜1611
乞うご期待

乞うご期待
徳川家康
1542〜1616