大戸関所跡 〜群馬県東吾妻町〜 (2014年3月29日) |
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大戸関所は信州街道の関所として寛永8年(1632)に設置された。信州街道は中山道の脇往還で、各地物産の輸送路として、また善光寺参りや草津温泉の湯治客で大いに賑わった。大戸関所は中山道碓氷関所の裏固めとして重要な役割を持っていたようだ。
道は鳩ノ湯温泉に向かう途中の須賀尾宿で草津温泉に至る草津街道と分岐する。 |
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大戸関所は国定忠治の関所破りで知られている。
27才の時、子分の仇を討った忠治は関東取締出役の追及を逃れてこの関所を破り、信州に向かった。そして13年後に捕縛され、小伝馬町に入牢の後、関所破りの罪で大戸関所に移送され、嘉永3年(1850)12月にこの地で処刑された。 |
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