上田方面から国道254号線を鹿教湯温泉の数キロ手前で左に折れ、2km程進みます。赤い欄干の橋を渡ると前方に古刹・霊泉寺が見えます。 |
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私が湯めぐりの教科書にしている「本物の温泉 ここが一番!」(別冊宝島、2000年9月発行))の写真には境内の傍らに樹齢700年のケヤキの巨木があったのですが、今は大きな切り株だけが残っています。 |
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寺の隣に広い無料駐車場があり、共同浴場の利用者はここに車をとめます。霊泉寺温泉の由来が書かれた案内板があったので転記します。 |
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その昔、平維茂(たいらのこれもり)が独鈷山に於いて鹿狩りのおり、侍女数人を連れ紅葉狩りをしている美女に呼び止められ酒を勧められた。酔ってうたたねをしていると夢の中に白山大権現が現れ「お前の相手をしている女は鬼女であるぞ」とのお告げを受け、驚いて目をさますと間一髪鬼女が維茂に襲いかかろうとしているところであった。維茂は剣をとって立ち向かいついに鬼女を打ちとったが、疲れがひどく急に体力が衰えて来た。そしてこの地にさしかかると世にも不思議な音楽が聞こえ、七彩の虹が山の間に見えるので近寄って見ると岩の間から温泉がほとばしり出ていた。さっそくこの湯を浴びたところ、みるみるうちに元気が出て体力が回復したので、維茂はここに白山神社と寺を建立した。そして僧侶が浴場を作り近所の人々に入浴させたところ霊泉の効きめはすばらしく、弱い体も金剛の様に強くなり、不治の病も霧が晴れるように治ったので寺号を金剛山霊泉寺と名付けたと言い伝えられている。その後温泉は寺湯として数百年続き、やがて寺の手を離れて近在近郷の人々の湯治場として賑わう様になった。明治38年4月火災により58棟全部焼失したが現在保養温泉として多くの人々に親しまれている。 |
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平維茂が戸隠の鬼女、紅葉を退治した話は有名で、この伝説にはそれと混乱したふしがありますが、鬼女退治を中央政権による地方豪族討伐と考えれば、この東信でも中央対地方の戦いがあったことが読み取れます。 |
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温泉街(「街」という言い方は当てはまらないかも)はすぐ先で、数軒の旅館が寄り添うように建っています。まるで時間が昭和半ばで止まっているかのような光景です。
先の案内板によると明治の大火前は湯治場としてかなりの賑わいをみせていたようですが、今その面影はありません。 |
共同浴場は右手奥。愛想のないコンクリートの建物で、うっかりすると通り過ぎてしまいそうですが、昔懐かしい赤いポストが目印です。 |
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受付けは銭湯方式になっていて、入場料は200円。脱衣所は狭く、私が訪れた時は運よく誰もいなかったのですが、複数人いると混み合うでしょう。 |
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脱衣所とは対照的に浴場は広々。湯舟も広ければ洗い場も広い。天井も高くて清々します。無加水、無加温の源泉かけ流しで、湯は柔らかくさらりとした肌触り。 |
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湯温もちょうどよく、この浴場を独り占めできた幸せを感じつつ、自分もこの静寂の一部になったような気分になりました。 |
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共同浴場だけでなく、各旅館の内湯でも日帰り入浴ができるようです。これぞ古き良き湯の里という素朴な温泉場で、いつまでもこのままであってほしいと願います。 |
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【また行ってみたい度】 →こちらをお読みください |
やなぎ夫: |
★★★★☆ |
やなぎ妻: |
未入湯 |
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2016年3月7日 |
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