ばらと温泉と日本酒ラベル/温泉の巻 
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混 浴 考

 家族風呂が風紀を乱すとか妙な話が出てきたところで、混浴について書いてみようと思う。

 秘湯ブームとやらで、今までは年配者と温泉好きのおやじ(含自分)のたまり場だった山間
の温泉場に若者たちの姿が目立つようになった。結構なことである。二十歳そこそこのアベッ
クが古宿のきしむ廊下を浴衣姿で手をつないで歩く姿は微笑ましいものだ。しかしである。もう
5年ほど前になるが、世にもおぞましい光景を目にしてしまった。  

 大学時代の仲間たちが鄙びた温泉に連れて行けというので、T県N温泉郷K温泉(別に実
名を伏せることもないのだが、これを読んでくださる温泉好きのあなたならすぐにおわかりに
なるだろう)を訪れた。ここは私を温泉なしでは生きてゆけない体にしてしまったイケナイ一軒
宿。自称「温泉同好会」の仲間とも幾度となく訪れている聖地だ。宿の主人は無愛想、部屋の
床は傾いている、食事も期待できない(昔は冷えたハムかつがメインディッシュだったが、最
近はちょっとまともになってしまってつまらない)。5年前に訪れたときも、浴衣が一枚足りない
ので宿のおばさんに言ったところ、そんなはずはないとこちらを疑うような顔をする。ないもの
はないのだと言うと、「どうして勝手に触ったのっ」と言い出す。友人たちは目が点になったが、
私は慣れているので「触らなきゃ着られないでしょうがっ」とやり返すと、おばさん「あ、そうか」
とようやく納得して一件落着。それでもまた行きたくなるのは、江戸時代の湯宿に来たような
安堵感と湯舟から溢れる豊富なお湯を満喫できるからだ。応対が丁寧な宿だとこちらも柄に
もなく上品ぶってしまったりしてときに肩が凝るが、ここではその心配は金輪際ない。なにしろ
宿が気を遣ってくれないのだから。
 風呂がすばらしい。鉄砲水で流されたとかでしばらくなかった河原
の湯が近年男女別に再開されたが、これはK温泉らしくない。やはり
混浴の「天狗の湯」と、 宿では「温泉プール」とも呼んでいる大露天
風呂がいい。「天狗の湯」は5、6人も入ればいっぱいという小さな湯
舟だが、熱い湯がドバドバとかけ流されていて、湯舟の傍らではタオ
ルをあそこにちょこんとのせた爺ちゃん婆ちゃんが寝そべっている。
私も寝そべる。婆ちゃんと目が合ってにっこり笑う。 これが混浴であ
る、と思う。
開放的な大露天風呂
 大露天風呂がまたいい。昼間こそ日帰り入浴の家族連れで賑わい、水着なしで入るのは気
がひける「温泉プール」だが、日が暮れて星空を見上げながらだだっ広い湯舟に浸かっている
と、なんでも許せる心の広い人間になったような気がしてくる。そこへ女性が入ってくる。広い
し暗いし、気にも留めぬ(これはウソ。気に留めないふりをするのである。それがマナーという
もの)。ある人は星空を仰ぎ、ある人は瞑想し、男も女も誰も彼も闇と湯に混ざり込む。これが
混浴である、と思う。
 ああ、それなのにそれなのに。その5年前のこと(前説が長くなり失礼)。部屋での小宴会も
お開きとなり、私はひとり大露天風呂に向かった。12時近かっただろうか。脱衣所を出て湯舟
を見やると・・・その光景に私は凍りついた。アベックパラダイス。7、8組はいたろうか。一定の
間隔を置いて若いカップルが陣取り、抱き合い、遊んでいた(これ以上は書けない)。お、お前
たち、何をやっているんだ! 即刻出て行け! 私は星一徹の如くちゃぶ台を、否、湯舟をひ
っくり返して叫んだ・・・と言いたいところだが、そんなことができるわけもなく、すごすごと部屋
に引き返したのであった。

 あんな状況をマスコミが知ったら面白おかしくレポートし、コメンテイターはもっともらしい顔を
して「行政はこの実態を把握しているのでしょうか」と言うかもしれない。行政は慌てて温泉旅
館混浴禁止条例を作るかもしれない。あれはあの夜だけの偶発的な出来事であってほしいと
願うのだが、実際、行政は混浴禁止を狙っているようである。
 ときの為政者たちは幾度となく混浴を禁止してきた。日本独自といえる混浴の風習(かつて
古代ローマに存在したが、キリスト教の布教により消滅)は江戸時代に開花。男女別の浴槽
を持つ銭湯もあったらしいが、「入り込み湯」と呼ばれる混浴の銭湯が多かった。幕府はたび
たび入り込み湯の禁止令を出したが、浴槽を男女に分けろと命ずれば、真ん中に板を一枚置
くだけという具合で徹底されなかった。もっとも江戸時代の混浴禁止は湯屋における売買春の
取り締まりが主目的だったという。
 ところが幕末、下田の公衆浴場を見たペリーさんに「住民の道徳に関して、大いに好意ある
見解を抱き得るような印象をアメリカ人に与えたとは思わなかった」(『ペルリ提督日本遠征記』、土
屋喬雄・玉城肇訳)
と野蛮人扱いされるに至り、外からの目を気にせざるを得なくなる(日本は昔
から外圧に弱い)。明治新政府は何度かの混浴禁止通達の末、明治33年(1900)に12歳以上
の男女の混浴を禁止するという内務省令を出し、ここに銭湯での混浴は消滅する。
 戦後はどうなっているのかというと、監督責任のある各都道府県が公衆浴場法施行条令を
定めて公衆浴場での混浴を禁止している。ただし上位法である公衆浴場法(昭和23年)にそ
の規定はなく、公衆浴場における衛生等管理要領において「おおむね10歳以上の男女を混
浴させないこと」と指導指針を示している。混浴禁止の年齢は都道府県によってまちまちで10
歳以上が最も多く、12歳以上や6歳以上としているところもある。さらに群馬県や栃木県など
では「利用形態から風紀上支障がないと認められる場合はこの限りではない」と付記している。
家族風呂を「風紀を乱す混浴」とみなすお堅い県もあれば「アベックが利用しても問題ない」と
するものわかりのよい県もあるのはそのあたりのさじ加減によるものだ。
 では旅館の混浴風呂はどうなっているだろう。旅館に適用されるのは旅館業法で、公衆浴場
法同様に混浴を禁止する記述はないが、旅館業における衛生等管理要領には「共同浴室に
あっては、おおむね10歳以上の男女を混浴させないこと」と明記されている。現在のところ、都
道府県は旅館の浴室での混浴を禁止する条例を設けていないけれども、管理要項がある以上、
新規の混浴風呂設置が許可されることはないだろうし、先ほどのK温泉のような利用の仕方が
問題化したりすると、既存の混浴浴場も混浴禁止なんてことになっちゃうかもしれないぞ!とお
じさんは声を大にして言いたい。

 入浴マナーといえばもうひとつ。群馬県法師温泉に夫婦で立ち寄
り湯をしたときのことだ。お目当ては旧国鉄「フルムーン」キャンペー
ンで一躍有名になった法師乃湯。脱衣所は男女別だが浴場は混浴
になっている。脱衣所に入ろうとすると、ちょうど熟年女性4人が出て
きて「男の人ばかりで、あれじゃあ入れないわ。」 実は妻も浴場の
様子を見てから入浴するかどうか決めることにしていたのだが、これ
は渡りに船。「これだけ女性が揃えば大丈夫。せっかくだからみんな
で入ればいいじゃないですか」という私の後押しに、「そうよね、そう
よね。みんなで入れば怖くない」ということで、妻も4人のお姉さま方
も無事ご入浴。
女性脱衣所口から見た浴室。
なぜか男性は皆こちらを向い
て入っていた。
 明治28年建築のこの大浴場は国登録有形文化財になっていて、長方形に半円のモダンな
窓を持つ、和洋折衷の美しい建物。湯舟の底から自然湧出の湯が湧き上がり・・・お湯といい
雰囲気といい、第一級の浴場。妻も満足しただろうと湯上りに感想を聞くと、「男の人たちがみ
んな入口の方を向いているのでとても入りづらい。入ったら入ったで、今度は湯舟から出づら
い。一緒に入った4人から私が最初に上がってくれたから便乗して上がることができたと感謝
されちゃった」と言う。男の私も不思議に思ったのだが、どうしてみんな入口の方を見て入って
いたのだろう。他の人から話を聞くと、どうやらいつもそうらしい。反対向きで窓を眺めながら
入った方がはるかに気持ちいいのに。

 『韓国温泉物語』(竹国友康著、岩波書店)の中に興味深い著述があるので紹介しよう。
 大森貝塚の発見者として知られる米国人生物学者エドワード・モースが、1877年に日光の
湯元温泉を訪れたときのこと。往来に面した浴場で、ひとりの婦人が一糸まとわぬ姿で体を洗
っていた。モース一行が人力車七台を連ねてその横を通っても、その婦人は何ら気に留める
ことなく、一行を平然と眺めやった。人力車を引く車夫たちも誰ひとりとしてその婦人の姿に目
をやることなどなかった。モースが「おい、見てみろよ」(と言ったかどうかはわからないが)同
行者の注意を喚起すると、婦人はその動作に気づいて多少背中を向けたという。
(以下、原文のまま) ハンス・ペーター・デュルは『裸体とはじらいの文化史』で「眺める者(日
本人)の視線は他の入浴者を通り過ぎるか、すり抜けるかであって、<見れ>ども心に留
めずなのである」と述べている。つまり、日本の人々は浴場で目の前に裸体の人を認めて
も、その人(その裸)をしげしげと見つめたりはけっしてしなかったということである。しかし、
モースたちは婦人の裸体を見つめてしまったので、それに気づいたその婦人ははじめて
恥ずかしさをいくらか覚え、「多少背中を向けた」のだ。

 「見れども心に留めず」・・・これこそがかつて日本人が持っていた混浴の極意。法師温泉の
男性陣のように、入ってくる女性を待ち構えている(とご婦人方は感じる)のはマナー違反であ
る。ついでにもうひとつ言うと、女性がいるのにもかかわらず、タオルで前を隠さず、大して立
派でもないモノをぶらぶらさせて浴室内を歩き回る男性がいる。同姓から見ても情けなくなる。
 またしても竹国友康氏の受け売りだが、江戸時代の日本人は入浴するときには男は湯ふん
どしを、女は湯巻きを付けていた。しかし湯を汚すという理由でふんどし、湯巻きは手ぬぐいに
代わり、それで前を隠すようになったという。その作法は日本人のDNAに組み込まれ、男女別
浴になってからもつい最近までふつうに見られたが、ここにきてタオルで前を隠す人が急激に
少なくなった。みんながやらなくなったので実は私もやめた。でも混浴は別である。異性の前で
はタオルで前を隠そう、男性諸君。

 私はフェミニストでもないし、混浴に拘りもない。というより、正直言うと気を遣わなければなら
ないから混浴は面倒だ。しかし、酸ヶ湯温泉、法師温泉などのように、混浴風呂には文化遺産
にしてもいいような素晴らしい浴場を持つところが多い。その浴場が仕切り壁で男女に分けられ
台無しになるのは悲しい。事実、そういうところをいくつも見てきた。これ以上そんなことにならな
いように、マナーを守って入りたいものである。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。