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殺 生 石 〜那須湯本温泉〜 (2006年10月9日)

那須湯本の温泉街を抜け、湯川の橋を渡っ
てボルケーノハイウエイの登り口に差しかか
る手前に、名勝「殺生石」があります。
道路を隔てて向かい側が、共同浴場の「鹿
の湯」です。
木道が整備されていて、火山性のガスが吹
き出して形成された独特の景色の中を散策
することができます。
盲蛇石(めくらへびいし)
昔、五左エ門という湯守が冬支度の薪をとりに行った
帰り、この殺生河原でひと休みしていると2mを越える
大きな蛇に出会った。蛇は目が見えず、可哀想に思っ
た五左エ門は、蛇のためにススキと小枝で小屋を作っ
てあげた。
蛇のことを忘れなかった五左エ門は、翌年、湯殿開き
の日に小屋を訪れて蛇を探した。ところが蛇の姿はな
く、代わりにキラキラ輝く湯の花があった。蛇への温か
い気持ちが神様に通じて、湯の花の作り方を教えてく
れたのだった。
その後、湯の花の採取方法は村中に広がり、村人た
ちは盲蛇への感謝の気持ちを忘れず、蛇の頭に似た
この石を「盲蛇石」と名付けて大切にしたそうな。
湯の花採取地→

千体地蔵
教傳地獄
興味深い話なので、案内板をほぼ原文のまま書き写し
てみます。
第96代後醍醐天皇の御代(1318年)の頃、奥州白河在
の五箇村に蓮花寺という寺があり、「教傳」という住職が
おりました。
この教傳は生まれながらの不良少年で、心配した母が
お坊さんにしようとしてこの寺に預かってもらいました。
その教傳も28才になって、前の住職の後をつぎ、母と
一緒に寺に住むようになりましたが、その行いは少しも
直りませんでした。
元亮元年(1336年)のことです。教傳は2、3人の友人と
一緒に、那須温泉に湯治に行くことになりました。
その日のことです。母が朝食を用意してすすめると、教傳はまだ旅支度も出来ていないのにと悪口を言いながら、
お膳をけとばしてそのまま出かけてしまいました。 那須温泉に着いた教傳たちは、ある日殺生石を見学しようと賽
の河原付近まで行くと、今まで晴れわたっていた空が、俄かにかきくもり、雷鳴が天地をゆるがし、大地から火炎熱
湯が噴き出し、連れの友人はいっせいに逃げ去りましたが、教傳は一歩も動くことができませんでした。
ふり向いて見ると「おれは寺を出るとき母親の用意したお膳を足げりにしてきた天罰をうけ火の海の地獄に堕ちて行
く」と教傳が大声をあげ苦しみもがいております。友人がかけ寄り助けようと引き出したが、教傳の腰から下が、炭
のようにただれており息をひきとってしまいました。それからも教傳の引き込まれたところには泥流がブツブツと湧
いていましたが、いつしか山津波に埋まってしまった。
その後、湯本温泉の有志が、享保5年に地蔵を建立して供養を行い、親不孝のいましめとして参拝する者が後をた
たなかったということです。

殺生石
案内板によると殺生石には次のような由来があるそうです。
昔、顔が白く、金色の毛を持ち、9本もの尾を持つ狐がいた。この九尾の狐は、不思議
な術を身につけ、悪行の限りを尽くしてアジア大陸で暴れ回り、日本にやってきた。

九尾の狐は玉藻の前という美しい女官に化けて鳥羽院に仕えていたが、陰陽師・阿部
泰成に正体を見破られ、那須野が原に逃げてきた。しかし、ここでも悪事をはたらいて
人々は打つ手もなく、困り果てていた。

そこで朝廷は三浦介を大将とする大軍をつかわして九尾の狐を追いつめ、神から授か
った矢で射ると、妖狐はたちまち大きな石となった。

しかし、石になった狐は猛毒を放って近づく人々やあらゆる生き物に被害を及ぼした。
これを聞いた泉渓寺の源翁和尚が石に向かって大乗経をあげると毒石は三つに割れ
て飛び散り、一つがここに残った。 人々はこの毒石を恐れ、殺生石と名付けたという。
↑案内板より


元禄2年(1689)早春に「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と旅立った松尾
芭蕉も、ここ殺生石を訪れています。
芭蕉句碑
石の香や夏草赤く露あつし
殺生石は温泉の出る山陰(やまかげ)にあり。石の毒気いまだほろびず、
蜂、蝶のたぐひ、真砂(まさご)の色の見えぬほどかさなり死す。

                           (『奥の細道』より)
地面の色が見えないほど虫の死骸があるというのは誇張表現かもしれませんが、当時は相
当の有毒ガスが発生していたことを窺い知ることができます。

九尾の狐が毒石となった昔、親不孝の教傳
が天罰を受けた昔、そして芭蕉が訪れた頃、
そしてこうしてのんびり散策を楽しんでいる
(一部有毒ガス発生につき立ち入り区域あり)と、
その活動は弱まりつつあるようですが、壮大
な那須火山の活動の中で考えれば、ほんの
ひと休みといったところなのかもしれません。


地図はこちら→




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