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ここから見える谷川岳は「マナイタグラ」という山。「谷川岳」の名は本当はこの山に付けられたそうだ。それが国土地理院5万分の1地図の誤記で隣の「トマ・オキの二つ耳」と呼ばれていた双峰の山を谷川岳としてしまったという。その結果、この美しい姿の山は「爼ー(マナイタグラ)」と呼ばれるようになった。まないたの様な険しい岩(ー)ということだろう。このマナイタグラや万太郎山など周囲の山を含めて「谷川連峰」と呼び、ざっくり「谷川岳」と呼んだりする。 |
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若山牧水の句碑がある。
谷川と 名こそ負へれこの村に
聞ゆるはただ谷川ばかり |
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昭和11年、太宰治は川端康成の勧めで谷川温泉に一か月ほど滞在している。道路脇に『姥捨』の一節が彫られた文学碑がある。 |
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戦国時代、北条勢に追われた関東管領・上杉憲政は長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼って越後に逃げる途中、この井戸を使ったと伝えられている。 |
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