ばらと温泉と日本酒ラベルロゴ 我が家のバラ、訪ね歩いた温泉、日本酒ラベルコレクションをご紹介します
トップページ | ばらの巻 | 温泉の巻 | 日本酒ラベルの巻 | サイトマップ
温泉の巻トップ ルート別案内 宿泊施設案内 日帰り施設案内 お気に入りの宿
草津温泉案内 信玄の隠し湯 温泉ランキング 立ち寄りスポット 私の温泉リスト
白河の関跡 ~福島県白河市~ (2014年8月18日)
奥州三関のひとつ、白河の関跡を訪れた。

下調べで地図を見ると、白河の関は旧奥州街道(国道294号線)ではなく、県道76号線(伊王野白河線)にある。その道こそが律令時代に整備された官道、東山道(近畿から美濃→信濃→上野→下野→陸奥の各国府を結ぶ道路)だった。ちなみに奥州三関のあと2つは、近畿から太平洋沿いに設置された古代東海道の勿来の関(福島県いわき市)、日本海沿いを北上したの北陸道の鼠(念珠)ヶ関(山形県鶴岡市)だ。
関所跡というと東海道の箱根関所跡や中山道の碓氷関所跡にある関所門を連想するが、白河神社の深々とした森の入口に建つ石碑があるのみである。

知ったかぶりををしてもしかたないので、石碑の脇にある案内板をそのまま転記しよう。
関の位置については久しく不明であったが、江戸時代後期、時の白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡であると断定され、寛政12年(1800)に「古関蹟」の碑が建てられ、今日に至っている。

関が置かれた年代については不明であるが、延暦18年(799)、承和2年(835)の太政官符には「白河剗」の名が認められることや歴史的な背景からみて、大化の改新以後の7・8世紀頃には存在していたものと考えられる。
昭和34年から38年までに実施された発掘調査では、竪穴住居跡や掘立柱建物跡、空堀、土塁、柵列などの古代から中世にいたる遺構が発見され、縄文土器、土師器、須恵器、灰釉陶器、鉄製器などの古代から中世にいたる遺物が出土している。出土した土師器の中には、「門、大室、□舟」などの墨書土器がみられる。
下の写真が松平定信が建立した「古関蹟」の碑だ。

参道の石段を上ると白河神社の社殿が現れる。奈良・平安時代初期においては国境に男女二社(住吉明神と玉津島明神)を祀る習わしがあり、この白河神社の前身が住吉明神といわれている。

社殿の近くには空堀(上の写真左)や土塁(写真右)の跡が見られる。これを見ると白河の関の目的は「入り鉄砲に出女」を取り締まった江戸時代の関所とは違い、朝廷側が東征のために設けた軍事拠点としての役割が大きかったことがわかる。

境内には故事にまつわる樹木や歌碑が点在し、史跡公園のようになっている。

松尾芭蕉の「奥の細道 白川の関」の石碑もあった。
心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定まりぬ。「いかで都へ」と便求めしも断也。中にも此関は三関の一にして、風そうの人心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置かれしとぞ。

 卯の花をかざしに関の晴着かな  曾良
ここで芭蕉と白河の関について触れてみたい。芭蕉の旅の目的のひとつに白河の関跡があったと思われる。

「春立る霞の空に、白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず・・・」

古来多くの歌人が歌い、歌枕となった白河の関を俳聖・松尾芭蕉としては是非訪れてみたかったに違いない。

ところが、残念ながら芭蕉と曾良は「こここそが白河の関跡」とばかりに感動の一句を捻るというわけにはいかなかったようなのだ。冒頭に書いたように現在の地が関所跡と断定されたのは1800年のこと。役割を終えた東山道と白河の関はいつしか忘れ去られ、芭蕉が訪れた頃(1689)には所在地すらはっきりわからないありさまだった。
今回行くにあたって地図を見ると、白河の関跡は現奥州街道(国道4号線)でも旧奥州街道(国道294号線、芭蕉の時代の奥州街道)でもなく、そのさらに東の県道76号線沿いに、しかも県境から2,3km福島県側にあった。
国道294号線の栃木・福島県境には「境の明神」があるが、芭蕉と曾良もそこが白河の関の跡でないことは把握していたようで奥州街道から脇道を東に行った旗宿で一泊している。そして宿の主に「古ノ関ノ明神」の存在を教えられて訪れたのが現在の白河神社だった。

地元で「古ノ関」と呼んでいたということはそこが白河の関跡だという言い伝えがあったのだろう。しかし、芭蕉たちが行ってみるとそこには草に埋もれた小さな祠があるだけだった。遥々訪ねてきた二人としては「えっ? ここ? ちがうんじゃない?」と思ったかもしれない。

「奥の細道」を読むと、前の段の「遊行柳」や後の段の「須賀川」では地理的説明をしていながら、「白川の関」の段では昔の歌の引用を連ねた情緒的な文に終始し、自分の句ではなく曾良の句を採用しているところをみると、不完全燃焼の心情が読み取れるような気がするが、どうだろう。

こんなことをあれこれ想像するのも史跡めぐりの楽しみである。
隣接する関の森公園内の「そば処 関守亭」で「白河清流豚冷しゃぶ&ざるそば」(1,190円)を食べた。非常に美味しかった。
美味しすぎて、公園にあった芭蕉と曾良の銅像を撮り忘れた・・・残念。

白河の関跡をあとにして栃木県方面へ向かう。もちろん往時の東山道は騎馬隊が縦列で通れる程の細道だったろう。
白河市街から快適なドライブを楽しめた県道76号線は県境を越えて栃木県に入ると道幅が急に狭くなり、スピードダウン。ただしこの方が雰囲気はでる。
こんな案内板が目に飛び込んだので急停車。
そう、平泉から兄頼朝のもとに馳せ参じる義経が通ったのがこの道だった。そして奥州藤原氏討伐のため、頼朝が軍をすすめたのもまたこの道だった。


地図はこちら→




ばらと温泉と日本酒ラベル トップページへ 温泉立ち寄りスポット一覧へ 甲子温泉大黒屋へ