川原湯温泉は、1193年に源頼朝によって発見されたと伝えられる名湯。800余年の歴史を持つ風光明媚な温泉地にダム建設構想が持ち上がったのは1952年のこと。地元住民は長年にわたる反対運動の末、ついに容認。ダムの周辺工事が進み、ダム本体工事が始まろうとしたその時、政権交替で一転ダム建設中止。半世紀以上にわたってダムに振り回されてきた川原湯温泉はどうなるのだろう。
以前、2010年2月に訪れた時の様子をブログで紹介したのものを、以下にそのまま転載しました。 |
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先ずは今や川原湯の象徴的な存在となってしまっているこれ・・・
民主党政権になって八ッ場ダム建設中止が表明されましたが、道路や鉄道の付け替え工事は進んでいます。
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JR吾妻線川原湯温泉駅。小さな駅舎ですが特急「草津」も停車します。
ダムが建設された場合はこの駅もダムの底に沈みます。
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駅前の売店に置いてあった川原湯温泉観光協会パンフレットの表紙。
いいデザインです。ポスターとしても使われていて、駅の待合室にも貼ってありました。
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川原湯温泉駅前、国道を渡ったところにある川原湯温泉入口のアーチ。
以前は「ようこそ!ダムに沈む川原湯温泉へ!」と自虐的ともとれるキャッチコピーが書かれた(記憶では)黄色いアーチでしが、数年前に「なつかし あたらし
川原湯温泉」に代わり、今回はそれもなくなってシンプルな看板になっていました。アーチの隣には「ふるさと」という茅葺き屋根の美味しい食事処があったのですが、今は更地になっています。
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川原湯温泉入口のアーチをくぐり、ゆるやかな坂道を上り始めるとほどなく左手の山の斜面に堤のようなものが見えてきました。
どうやらこの上で新しい温泉街のための造成が行われているようです。「現地再建ずり上がり方式」といって、今の温泉街をこの堤の上に移動、再建しようという計画です。もしダムができたらどのあたりまで水が上がるのでしょう。「ダム湖畔に佇む温泉街」というイメージでしょうか・・・ふと同じ群馬県でダムに沈んで再建された猿ヶ京温泉が思い浮かびました。 |
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温泉街に向かってさらに上っていくと、こんな看板がありました。
先ほど通り過ぎた堤の上はこうなるようです。
正直、川原湯温泉は今のままであってほしい。でも数十年にわたってダム建設反対を訴え続けた末、ついにこの看板を立てることを決意した地元の皆さんの気持ちを思うと何も言えません。 |
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聖天様露天風呂の外壁に「川原湯音頭」の歌詞プレートが掲げられています。
岩間岩間に むらさきつつじ ソーダネ
渓谷に明るい 渓谷に明るい 春が来る
みんな来やんせ ハイリヤンセ ソレ
川原湯ヨイトコ お湯の街
モクモクワクワク お湯の街
行コ行コ 行コ行コ 川原湯温泉
夢のパラダイス
歌詞の5番は「送りましょうよ 送られましょう せめて八場の せめて 八場の橋までも ・・・」とあります。 |
「八場の橋」は川原湯温泉の手前、吾妻渓谷に架かっている橋。もし八ツ場ダムができると、橋はもちろんこの高台の露天風呂も、そしてこの「川原湯音頭」も沈みます。 |
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笹湯に通じる脇道の角では旅館(おそらく)の取り壊し工事が行われていました。
タクシーの運転手さんによると、川原湯温泉地区では7〜8割の世帯がすでに立ち退いたとのことで、それも代替地の価格が高いので町外に転出していった人が多いそうです。
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温泉街にある食事処「旬」のラーメン。美味しかったです。
実はこのラーメンにはちょっとしたプロローグがありました。
共同浴場の王湯に着いたのはちょうど昼時で、休憩所を利用することだし、ラーメンでも出前してもらおうということになりました。聖天様露天風呂に入った時点ではまだ「旬」は準備中。王湯の管理人の奥さんに出前の件を聞いたところ、そろそろ開店するだろうからと電話してくれました。ところが電話が通じず、臨時休業かもしれないとのこと。「ちょっと歩くけど、駅前のそば屋ならきっと開いてますよ。うちのパンをあげたいところだけど、5人じゃ足りないものねえ」と奥さん。「旬」と駅前の店は同じ家族で経営しているそうで、どちらかは必ず営業しているはず、というのが奥さんの読み。すると奥でテレビを見ていた旦那さんが「急用で一家で出かけたかもしれないじゃないか」。奥さん「そんなことないわよ」。 |
旦那さん「わざわざ駅まで行って無駄足だったら申し訳ないじゃないか」・・・気のいいご夫婦が我々の昼食ごときで口げんか・・・申し訳ありません。結局、駅に行く途中覗いてみると「旬」は開店しており、食事にありつけました。
極上の湯、美味しいラーメン、そして優しい管理人ご夫婦に出会えた川原湯温泉でした。 |